小説集
長編小説を主とした小説集……1.小説「ゴエモン」−−2.小説「才蔵」−−3.小説「拙者、才蔵」−−4.「日本軍上陸−パタニ王国」(新連載)−−4つの小説をお楽しみください。
プロフィール

石川淳也

Author:石川淳也
【石川淳也】小説「ゴエモン」著者
高校三年生。現在、大学受験勉強に悪戦苦闘中。
ゴエモンは小学2年生のときに我が家に来て、8年間一緒に暮らしました。
この物語は、ゴエモンとの思い出に少しだけ脚色したものです。

【山崎ミカ】小説「才蔵」著者
現在、高校二年生。中学生のとき才蔵と出会い、二人で生活しています。この小説はミカと才蔵の不思議な関係と二人の活躍を少しだけ脚色したものです。

【宮根真司】小説「拙者、才蔵」著者
本名、霧隠才蔵。山崎ミカとタイへ旅行した際、不思議な出来事に遭遇した。事件もあった。それらを小説にしたもの。

【田中廣一】小説「日本軍上陸」著者
拙者、才蔵に出てくる山田長政、山田オクン、脇坂、里見等と不思議な体験により出会った。その体験を小説にしたもの。


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第五章 一九四一年十二月九日 No.5
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 日本軍上陸 − パタニ王国



第五章 一九四一年十二月九日 


 ====

 何秒かが過ぎた。

「何てことを…… こんな子を殺して…… 冷静を誓っていたのに……」

 持っていた日本刀をジャングルへ投げ捨てた。

 ヘーロンの下からシャオユイが出てきて、泣きながらうつ伏せのヘーロンの背を揺すった。

 シャオユイの服も手も真っ赤に染まった。ヘーロンは動かない。

「すまん、すまない」

 シャオユイと息耐えたであろうヘーロンに謝る少尉に、シャオユイは振り返ってにらみつけた。

 その時、

「やーっ」

 掛け声と共に、難波軍曹がシャオユイの脇腹へ銃剣を突き刺した。

 シャオユイは声も立てずに、スローモーションのようにヘーロンに覆いかぶさった。

 ヘーロンとシャオユイの血が道路に広がり始めた。

 長谷川がぶるぶると震えながら訴えた。

「この子達は支那の人種ではあるが国籍はタイ王国です。

 日本の味方だ。友好国の国民だ!

 パタニに上陸をした神山大佐は、住民には危害を加えないと言われたのに……

 あなた達は、何てことをするんだ!」

 田中少尉は感情が高ぶって子供を殺したことを悔やんでいた。廣一にその狼狽ぶりが分った。

「田中少尉殿、失礼なことを申しました」

 難波軍曹が敬礼をしなから言った。








 その時、中国人の集団が戻ってきた。ヘーロンとシャオユイを探すために引き返してきたのだ。

 彼らは月明かりで二人の子供が道に倒れているのを見た。

 中国人の集団が近づいてくる。

 難波軍曹と部下の兵達は銃口を彼らに向けた。

 中国人達はその場で立ち止まり、少しずつ遠巻きに取り囲むように半円の状態に広がった。それ以上は近づこうとしない。銃を向けられているので近づけないのだ。

 二人の人影が出てきた。

「アアーッ」

 日本軍には目もくれず、ヘーロンとシャオユイに駆け寄った。

 子供達の両親である。

 母親はがくっと膝を落としてシャオユイを抱き起こした。

 泣きながら叫んでいる。父親は静かに膝まづきヘーロンを抱き起こした。

 父親が田中少尉に向かって中国語で何か言った。意味は分らないが非難の声。

 状況から、兵達にもこの二人が両親であることが想像できた。

 長谷川に「この二人は何を言ったのか」と聞いた。が、長谷川は黙っている。


 ==今回はここまで==


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第五章 一九四一年十二月九日 No.6
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 日本軍上陸 − パタニ王国



第五章 一九四一年十二月九日 


 ====

 兵達は取り囲んでいる中国人達に銃を向けている。

 この状態がしばらく続いた。

 日本人は十七名。中国人は百人を超えている。

 銃の知識がない廣一でも日本兵の銃は、マシンガンのように何発も連射できないことは見て分る。

 一発か二発撃てば、玉を込め直さなければならない。だから、銃を持っていると言っても、日本人の方が不利である。

 おまけに、長谷川は中国人の味方をするかもしれない。

 日本兵達に不安が生じ、すこしではあるが、あとずさった。

 この場を何とかしなければならないと田中少尉は思った。

 その時、安中少尉が口を開いた。

「長谷川さん、トラックで私達をマレーへ通ずる道へ運んでください」

 長谷川は黙って動かない。

 難波軍曹が長谷川に銃口を向け、「トラックを出せ! 早くしろ!」と、悲鳴にも近い声で叫んだ。

 それでも長谷川は動かなかった。無言の抵抗をしている。

 日本兵達が中国人に殺されることを期待しているのかもしれない。

 軍曹は長谷川に近寄り、銃座で長谷川の腹を殴りつけた。

 長谷川は「うーっ」とうめきながら前かがみの姿勢になった。








 そのとき、「ダーン」一発の銃声。

 中国人の輪をさらに取り巻くように、いつの間にか武装した男達が立っていた。その数は二百人に近い。

 男達の服装は統一されていない。中には上半身裸の者もいる。皆がイスラムの帽子をかぶっている。マレー人だ。

 ほとんどがピストルを腰に下げ、別の銃を中国人に向けている。

 その中の一人が出てきた。

 谷豊だ。

 ジャングルの中を駆け巡ってきたのであろう、半袖のシャツが汚れている。

 マレー人の中からハリマオという言葉が聞こえた。それを聞いた中国人の輪がさーっと広がった。

 ハリマオは倒れているヘーロンとシャオユイのそばに来た。

「たっ、谷君」

 難波軍曹に殴られ、うつむきながら長谷川が言った。

 その声が聞こえたはずだが、それを無視してハリマオこと谷豊は、「誰がやった!」と日本語で怒鳴った。

「だっ、誰だお前は」

 難波軍曹が銃を向けた。その銃剣にはシャオユイの血がついている。

「貴様か、こん子ば殺したのは」

 谷は難波軍曹の前に行き、その顔を殴りつけた。

 あまりの勢いによろけた軍曹は銃を撃とうとしたが、谷の迫力からか、周囲を取り巻いている谷の部下達の多さからか、何もできない。

「こぎゃん罪のなか子ば殺すのが日本軍か! 日本は正義のために戦争ばするのではなかかーっ!

 これでは支那人に殺された妹と同じではなかか」

 谷はしばらく無言でいたが、

「俺は日本に騙されているのかもしれない」とぽつりと言った。

 そして、田中少尉の前へ立ち

「あんたが長谷川しゃんに言ったことが正しいのかも知れん」

 田中少尉は刀をジャングルへ投げ捨てずに持っていたら、軍曹と同じように殴られていたであろう。

「貴様日本人のようだが、何者だ」

 廣一は谷豊を知っているが、祖父の田中少尉は知らない。

 田中少尉の言葉に、谷は薄く笑いながら長谷川へ

「この兵達ば連れて行ってくれんね」と言い、

 難波軍曹に向かい

「俺に殺されたくなければ、早くトラックに乗れ」と怒鳴った。

 日本兵がトラックの荷台に乗った。

 長谷川が運転席でエンジンを掛けた。

 トラックが動き出した。

 助手席で田中少尉が窓から身を乗り出して振り返ると、そこには谷の姿も彼の部下達の姿もなかった。

 ヘーロンとシャオユイを取り囲む中国人達だけがいた。


 ==今回はここまで==



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第五章 一九四一年十二月九日 No.7
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 日本軍上陸 − パタニ王国



第五章 一九四一年十二月九日 



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「長谷川さん、今のは何だ? 谷とかハリマオとか言っていたが」

「日本軍の上陸を裏から援助する一団です。

 たぶん、陸軍の特務機関の要請によるものと思います」

「俺が、長谷川さんに言ったことが正しいのかも知れんと言っていたが、俺が何を言ったのだ? それと俺はあの男と会ったことがあるのか?」

 長谷川はそれには応えなかった。

 長谷川は無言でいる。

「田中少尉、先ほどは失礼なことをしました」

 と、少尉と長谷川の間に座っている安中少尉が言った。

「少尉、君はあの難波軍曹に舐められているのではないか?」

「はっ…… 申し訳ありません」

 安中少尉はうつむいた。

「支那大陸での経験豊富な軍曹ですから、私よりも判断が正しいことが多く、自然兵達も軍曹を頼るようになりました。

 まことに恥ずかしいことです」





 トラックは、マレー半島の中央部を南下する道に出た。

 田中少尉は安中少尉達と行動を共にすることにした。

 長谷川はトラックでパタニに戻って行った。

 廣一は長谷川と共にパタニに戻りたいと思ったが、少尉の体の中ではどうにもならない。





 徒歩による移動となった。

 先頭は難波軍曹、彼は銃を前に向け、四方に目を配りながら進んでいる。当然、速度は遅い。

 太陽が頭上にきた。民間人の軽装をしている田中少尉と違って、支給された夏用の制服とはいえ、兵達には多くの装備もある。背中に汗で濡れた色を見せながらゆっくり進んだ。

 目の前に集落が見えた。

 難波軍曹が隠れるように合図をした。いったん隠れ、集落の様子を偵察して、無事であることを確認してその集落を通り過ぎた。

「難波軍曹!」

 田中少尉は軍曹を兵達から離れた所へ連れて行った。

「軍曹、君は臆病すぎるのではないか。

 臆病であるから、誰でも敵に見えてくる。

 すでに何万もの日本軍がこの道を通っている。我々は先発隊ではない。敵はいない。

 支那大陸での君のことは知らない。

 しかし、パタニで出会ってから、君の臆病が起こさなくても良い災いを起こしている。

 今後はしんがりを来い」

 難波軍曹が何か言おうとした。

「良いな!」

 田中少尉は有無を言わさない調子で言った。

「はっ」

 憮然とした顔つきに変った軍曹は、敬礼して兵達の後ろに走った。


 ==今回はここまで==



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第五章 一九四一年十二月九日 No.8
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 日本軍上陸 − パタニ王国



第五章 一九四一年十二月九日 



 ====




 田中少尉は兵達を集めた。

「お前達の顔は緊張し過ぎている。その顔で集落に入れば、住民も警戒する。

 この道はパタニの上陸部隊とシンゴラの上陸部隊が通過した道だ。

 敵がいるのなら、先の部隊が遭遇している。

 だから、安心しろ。

 笑顔をしろとまでは言わないが、少しゆとりのある顔つきに変えろ。そうすれば、住民も警戒しない。
これからは、自分と安中少尉が先頭を歩く」

 大声で言った。

 それからの速度は速くなった。




 集落が見えた。二十軒程度の民家。

 田中少尉は立ち止まらず、そのまま進み集落の中に入った。様子をうかがっている人影が見える。

 その人影に向かって田中少尉は笑顔で手をあげると、出てきた。

 住民達に向かって日本語で話しかけたが、勿論通じない。

 田中少尉は両手を口にもっていき、食べる真似をした。

 住民達は笑いながら大きな篭を持ってきた。その篭にはバナナ、ランブータン、マンゴーなどが入っていた。

 兵達は我先にと果物を奪いあい、ほお張った。彼らの緊張した顔が笑顔に変った。難波軍曹はぶ然とした顔のままだった。




その夕刻、

「あっ、田中少尉。わしらが最後だと思っていたが、まだ後ろがいたんですか」

 前を歩いていた日本兵の一団が、後ろを振り向いて言った。

 この一団は長谷川のトラックで運ばれた者達だ。当然田中少尉の顔を知っている。

 その一団の中尉が言った。

「田中少尉、君のお陰で何とか本隊に追いつけそうだ」

 中尉の一団と行動を共にすることになった。





 日が暮れた。月が雲に隠れて暗闇の中、道の端に腰を落として仮眠することになった。

 田中少尉と中尉、安中少尉は並んで座っていた。

 そこへ難波軍曹がきた。田中少尉に話があるという。

 二人は兵達がいる場所から離れた。



「今朝のことは本当に申し訳ありませんでした。

 私は上官を敵国のスパイ呼ばわりしました。軍法会議にかけられるのでしょうか?」

「自分がそのような報告をすれば、軍法会議もあるだろうが、安心しろ、そのようなことはしない」

「はっ」

 軍曹は敬礼をした。

「しかし、自分と君は罪の無い幼い子を殺してしまった。

 軍曹はどう思っているか知らないが、自分は後悔している。この後悔は一生続くと思う。

 戦闘中に敵兵を殺すことは我々の任務である。

 しかし、それ以外のときは人を殺したくない。

 あの時、軍曹から言われたことで感情が高ぶり、あの子を切りつけてしまった。

 自分が冷静でいることができたら、あの子を殺すこともなかったと思う。

 支那で同じようなことがあった。そのときは齋藤という軍曹の気転で民間人を殺さずに済んだ。

 それ以後、常に冷静にしようと心がけていたのに…… だから自分が情けない。

 難しいことだが、軍曹も兵士である前に一人の人間として、物事を考えて欲しい。」

 難波軍曹はうな垂れて聞いていた。




 元の場所に戻った。

「軍曹は何をいいましたか?」

 安中少尉が聞いた。

「いや、何…… 今朝の詫びを言いに来たんだ」

「田中少尉、今朝のことは本当に申し訳なかったと思っております」

「田中、今朝のこととは何だ?」

「いや、大したことではないのです。少し休ませてもらいます」

 と中尉に言い、道路の端にごろんと横になった。

 アスファルトは昼間の熱気をまだ保っており、温かかった。


 ==今回はここまで==



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第五章 一九四一年十二月九日 No.9
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 日本軍上陸 − パタニ王国



第五章 一九四一年十二月九日 


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 眠りについた田中少尉は夢を見た。

「タナカーサン! タナカーサン」

 と少尉を呼びながらジャングルの中で、シャオユイが汚れた人形をあやしている。

 次の場面では、眠っているシャオユイを背負い、ジャングルの中の小道を歩いている。

 場面が変った。ヘーロンとシャオユイと手をつなぎ、パタニの町中を散歩している。

 モスクの前で、イスラム教徒達の動きを見ている。

 場面が変った。長谷川とパタニの浜にいる。上空をイギリスの偵察機が飛んでいる。





 英国軍の偵察機? 長谷川は、パタニ上陸前に二人で英国軍の偵察機を見たと言っていた。そうか、これは俺が記憶を失っていたときのものだ。

 すると、あの子達は、記憶を失っていたときの知り合いと言うことなのか―― 。





 夢の場面が変った。ムーチェンの屋敷である。

 リンリンに屋敷を案内してもらっている。

 ムーチェンが長谷川に、あの日本刀を与えている場面が見える。ムーチェンは田中少尉に対して、孫娘のリンリンと結婚して欲しいと日本語で言った。

 場面が変った。




 長谷川と共にトラックでゴム農園の中を走っている。農園のいたる所に五名前後の家族と思われるグループが散在している。

 その中には火を焚いて料理を作っている者もいる。中華鍋を使っている。

 支那人の一団だ。安中少尉達と道路で休んでいるときに、あの子達に続いて支那人の一団が出てきた。

 ということは、俺は記憶のないときに支那人達を保護したことになる。





 夢の場面が変った。

 切り付けられたヘーロンがうつ伏せに倒れている。そのヘーロンをかばうような姿勢でシャオユイがにらみつけている。

『なぜ、お兄ちゃんを殺したの?

 私達は田中さんと友達だったでしょ!

 一生、田中さんを恨んでやる! 日本鬼!』

 と、シャオユイが叫んだ。

『許してくれ! 許してくれ!』

 謝りながら、うなされた。




 廣一はうなされる祖父の体の中で気を失った。


 ==今回はここまで==



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エピローグ  二十一世紀 No.1
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エピローグ  二十一世紀 


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 廣一は自動車の音で目覚めようとしていた。

 家の前を通る自動車のようだ。ということは、ここは家の中?

 寝心地の良いクッションを感じる。まてよ! 寝たのは路上だった。

 いや、田中数馬の時代にも入り込んでいた。

 なぜ、自動車の音なんだ? 家の中なんだ?



 うつろげに目蓋を少し開いた。

 長谷川の顔があった。長谷川とは別れたはずだが? いや、これは長谷川の写真だ! 壁に掛けられた長谷川の写真だ。黄ばんでいる。

 ベッドの上で廣一は目覚めた。

 聞こえるのは自動車の音だけではない。コーランの一節を唱える重々しい男性の声がスピーカーを通して周辺に響きわたってきた。

 ベッドの上? 自動車の音? スピーカーを通した声? 壁には黄ばんだ長谷川の写真?

 こっ、ここは二十一世紀の長谷川の部屋だ!

 二十一世紀に戻ったのだ。

 手を頭にそえた。たわしのような硬い頭髪ではない、結った髷でもない。




 廣一は二十一世紀に戻ったことをもっと確かめようと思い、部屋を出て、階下に降りようとした。
ギクッとした。

 階段の下から長谷川が微笑みながら廣一を見上げているのである。「やあ、田中少尉、今お目覚めですか」とでもいう声が聞こえてきそうだった。

 それは思い過ごしで、階下の男は長谷川ではない。

 今のこの家のオーナー、長谷川の子供のクリスティナ・ハセガワだった。

「やあ、田中さん、おはよう」

「おっ、おはようございます。あのー、私はどのぐらい、寝ていたでしょう?」

「ずいぶんと寝ていましたね、十五時間くらいでしょうか。日本からの旅で疲れていたのでしょう。起こすのもかわいそうと思い、そのままにしていました」



 廣一は十五時間寝ていた。

 その間に田中数馬と田中孝三の体に入り、何日もの体験をした。いや、何百年もの体験。

 タイムスリップしたと思ったが、あれは夢だったのか? 夢にしては一つ一つのことが生々しすぎる。
おまけにはっきりとおぼえてもいる。

 そうだ、ハジャイであの老人から、妹を日本軍に殺されたと聞き、老人自身も背中を切り裂かれていたのを見た。それが記憶として残り、それらしいストーリーが夢の中で生まれたのだ。

 やはり、夢だったのだ。

 この家のオーナーからも、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃した同じ日に、このパタニからも日本軍が上陸したことを聞いた。

 また、山田長政が率いる日本人がパタニ王国と戦争をしたとも聞いた。

 そういうものが混合して、それらしいストーリーが夢の中でできあがったのだ。

 きっとそうだ。それ以外の考えは思い浮かばない。

「どうかしましたか? しばらくすると昼食です。一緒にいかがですか」

「あっ、ありがとございます。いただきます」


 ==今回はここまで==



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エピローグ  二十一世紀 No.2
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 日本軍上陸 − パタニ王国



エピローグ  二十一世紀 


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 廣一は、クリイスサナ・ハセガワとその妻の三人でテーブルを囲んでいた。

「田中さん、昨夜はいかがでしたか?」

 と、クリイスサナが廣一に言った。

「えっ! いかがとは?」

 廣一は一瞬、驚きともとれる顔をした。

 廣一は十五時間眠っていたことになっている。それを知っているクリスサナがなぜ聞くのだろう?

 この長谷川の息子は昨夜体験したことを知っているのだろうか?

「そうですか、何かあったのですね」

 とクリイスサナは廣一の顔の変化を見ながら言った。そして、古びた角封筒を廣一の前に差し出した。

「実は、二十一世紀になって、この家に田中廣一という日本人青年を泊めることがあったら、目覚めたときにこれを渡すようにと母から言われていました。

 母は父から同じように言われたそうです。

 父が自らの死後この家に泊る人の名前を予言のように母に言ったそうです。私は信じていませんでした。

 ですから、この封筒のことを忘れていました。

 昨日、あなたが二階の部屋でやすまれた後で思い出し、この手紙を一晩かけて探しました」

 クリスサナの言葉を裏づけるように、その封筒は黄ばんでおり、ほこりを拭い取った跡が残っている。

 クリイスサナの妻は日本語のやり取りが理解できず、成り行きを見ていた。








 廣一は、テーブルの上で差し出された封筒を受け取った。

 厚みのある封筒である。その厚みの原因は本だった。

 あの二冊の本が出てきた。「南洋叢談」と「噴火山の歐州 世界大戦再び起こるか 大舞台に躍る群雄」である。

 祖父の孝三は、あのとき、ポケットに旅券のみを入れ、他は何も持たずに長谷川と別れた。だから、この二冊の本が長谷川の元に残ったのである。

 この二冊の本が夢ではなく、本当にタイムスリップしていたことを証明した。

 封筒には折りたたまれた便箋もあった。

 廣一は便箋を持って、

「手紙のようですが、何が書いてあるかご存知ですか?」

「いいえ、知りません。この封筒のことをすっかり忘れていたのですから」

 便箋も六十余年前のものである。紙質は粗末なものだった。右上がりの角張った奇麗な文字が並んでいる。


 ==今回はここまで==



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エピローグ  二十一世紀 No.3
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 日本軍上陸 − パタニ王国



エピローグ  二十一世紀 


 ====


 田中廣一様


 元の時代に戻っておられるかどうかわかりませんが、戻っておられることを信じて、この手紙を書いております。

 日本陸軍がパタニに上陸をしてから、すなわち、廣一さんと別れて三年が過ぎました。

 廣一さんと別れて、ふと不安になったことがあります。それは再び二十一世紀に戻ることができるだろうかということです。

 というのは、二十一世紀のパタニで田中廣一と言う青年が行方不明になったまま、二度と戻ってこないと言うようなこともありうると思ったのです。

 あの上陸の日の途中から、田中少尉は廣一さんではなく、少尉ご自身であることに気づきました。そのまま田中少尉とは別れてしまいました。

 廣一さんはあのとき以後も、少尉の体の中におられたのでしょうか。少尉の体の中におられたのであれば、あの十二月九日のことをご存知だと思いますが、ご存じないものとしてここに記しておきます。



 私と田中少尉は、シンゴラで上陸をした部隊の一部が道に迷い、パタニに来るかもしれないので、街の北方郊外の道で待機しておりました。

 やはり、パタニに迷い込んできた日本兵の集団がいくつかあり、私はそれらの兵士達をトラックで幹線道路まで何度か往復して輸送いたしました。

 最後の集団と私達がその道にいるとき、運悪く私のゴム農園に潜んでいた支那人達がそこに出くわしてしまい、日本兵はシャオユイを殺し、ヘーロンを傷つけてしまいました。

 それだけでなく、その場で百人近い支那人も殺されるかもしれない状況になりました。

 そのとき、谷豊君が部下を引き連れて現れ、危機を救ってくれました。

 その後、田中少尉は最後の集団と共にマレーへと向かわれました。田中少尉とはそれが最後となりました。





 ヘーロンを切りつけたのは祖父である。長谷川は日本兵がヘーロンを傷つけたと書いているが、これは廣一が知っていないのなら知らさずにおこうという配慮と思えた。

 手紙は続く。




 さて、ヘーロンとシャオユイのことですが、シャオユイは日本兵の銃剣によって絶命しておりました。

 一方、ヘーロンの背はざっくりと切り裂かれ、出血多量で重態でした。かといって、このパタニにそれを治療できる施設はありません。

 麻酔もない状態で裁縫用の針と糸で縫いあわせました。

 廣一さんは老人となったヘーロンの背を見たと言われましたが、素人による手術の結果があれです。

 ヘーロンの意識が戻っていたなら、苦痛の大きさに絶えられず、絶命していたかもしれませんが、幸いなことに、気を失っているときに縫いあわせましたので、それが良かったようです。

 ヘーロンが動けるようになって、家族はパタニを出ました。シャオユイが殺されたことで、この地にいることが辛くなったのです。


 ==今回はここまで==



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エピローグ  二十一世紀 No.4
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 日本軍上陸 − パタニ王国



エピローグ  二十一世紀 


 ====

 実は、二十一世紀の私の家で首を絞められ、体を押さえつけられたと言っておられましたが、首を絞めたのは私です。体を押さえたのはヘーロンの父親でした。

 田中少尉から日本軍の上陸の話しを聞いた私は、パタニにいる支那人が日本軍に殺されるかもしれないと思い、ヘーロンの父親に相談をしました。彼も私と同じ思いでした。

 日本軍を上陸させないためには田中少尉を殺すしかないと判断をしたのです。しかし、少尉を殺しても、殺さなくても歴史は変らず、日本軍は上陸したはずです。



 廣一は、ヘーロンの家を訪れたとき、驚いたような顔をした父親を思い出した。




 あれは浅はかな行為でしたが、廣一さんがこの時代に来られる原因となったのですから、私達にとって有意義でもありました。

 シャオユイは亡くなりましたが、廣一さんがこの時代に現れなかったら、もっと多くの支那人が被害に遭っていたかもしれません。

 その後の私は支那人達との関係で、微妙な立場に置かれることになりました。ワン・ムーチェン達、成功している支那人からは信頼を得るようになり、彼らとの取引が増えてきました。

 一方、一般的な支那人からは日本軍にシャオユイが殺され、その場に私もいたことから彼らは私を恐れるようになりました。

 さらに、日本軍の劣勢が目に見えて明らかな状態になってくると、私を恐れていた支那人は、私の仕事の妨害をするようになりました。

 支那人達にとって、私は敵である日本そのものに思えたのでしょう。

 大日本帝国あるいは日本軍に対する、今までの虐げられた感情を私に向けているのです。

 ゴム農園は支那人に取られてしまいました。どのような手口で取られたかを言うことは、私の愚痴になるかもしれませんのでやめておきます。

 私が素直にゴム農園を手放したのが良くありませんでした。彼らは、私の非力を知りました。

 劣勢となった日本の威力はなく、思いのほか私の抵抗が少ないと分った彼らは、私の家や商売の権利までも奪おうとしています。

 それでも私は、可能な限りこのパタニで商売を続けていきたいと思っています。

 廣一さんから聞いた戦後の祖国は、多くの都市が米軍の空襲によって焼け野原になる。そのような所へ戻るよりは、この地へとどまろうと思います。




 ところで私は妻をめとりました。廣一さんもご存知のタイ人の女です。私の家で給仕をしていた者です。

 私との間に一人の息子ができました。

 この手紙は、万が一のことを考えて妻に託しておきます。

 廣一さんがパタニに来られる時代になるまでに、妻が亡くなるようなことがあれば、息子に託してくれるでしょう。

 少し卑怯かも知れませんが、この手紙はあなた様が目覚めた後に渡すようにしておきます。

 寝る前にこの手紙をお渡しした場合、泊ることを拒否されるかも知れません。そうすると、廣一さんがこの時代に来ることはなく、多くの支那人が殺されてしまうかも知れません。

 そのような訳ですからお許しください。


 ==今回はここまで==



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エピローグ  二十一世紀 No.5
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 日本軍上陸 − パタニ王国



エピローグ  二十一世紀 


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 お伝えしなければならないことがあります。

 ワン・リンリンとハリマオこと谷豊君のことです。

 田中少尉がこのパタニを去った後、リンリンは少尉が再びパタニを訪れるのを待っていました。しかし、彼女のことを知っているのは廣一さん、あなたです。田中少尉ではありません。

 少尉が彼女に会うためにこのパタニに来ることはあり得ません。

 少尉からの連絡が全くないとわかったとき、比較的早い時期に、ワン・ムーチェンは、バンコクで成功している林家にリンリンを嫁がせました。

 林家は両替商を営んでおります。少なくとも彼女は経済的には満ち足りた人生を歩むことができるのではないかと思っています。

 ところで、リンリンを田中少尉に嫁がせるとワン・ムーチェンが指示したこと、および、彼女がそれに従ったことについて驚いておられました。

 未来ではないのかも知れませんが、このようなことは日本人にも支那人にも普通に行われております。

 支那人、特に華僑と呼ばれる者達にとって、家業は一代限りの事業ではなく、子孫までも含めた遠大な計画に基づくものなのです。また、ワン・ムーチェンのように家をまとめる者の発言は重大で、それに反することはできません。このことをご理解ください。





 次に谷豊君のことです。

 彼はあれから、日本陸軍の進軍を助けるためにいくつもの手柄を立てました。

 しかし、シャオユイが殺されたのを見ただけでなく、マレーの至るところで繰り広げる日本軍の支那人に対する残虐な行為を目にしたようです。

 特にシンガポールではそれがひどかったようです。元々英国の植民地政策によりシンガポールの住民の大半が支那人となっていました。

 十八歳から五十歳の多くの支那人がシンガポールでスパイ容疑をかけられ、殺されてしまいました。その数は数万人といわれています。

 日本軍は発表していませんが、私はワン・ムーチェンを通じてシンガポールの情報を聞きました。

 谷君の日本軍に対する気持ちが変って当然です。

 彼自身、妹を殺され支那人や英国人に対する復讐をしていましたが、決して人を殺してはいません。

 盗んだものはすべて、マレー人に与えていました。彼が自分のものにした財産はほとんどありません。

 そのような谷君ですが、シンガポールの陸軍病院でマラリヤによって亡くなったことになっています。

 しかし、ジャングルの中で永く暮らしてきた彼がマラリヤで亡くなることは考えられません。

 噂では特務機関に抹殺されたといわれています。これが真実だろうと思います。



 彼が亡くなってから、彼を主人公にした「マライの虎」という題名の映画が内地でできたようです。

 マレーに移住した日本青年がマレー人の集団を率いて日本のために戦うという、国民の意識を高めるための映画です。

 谷君はこの映画のことをどう思っているでしょうか、あの世で聞いて見たいものです。




 手紙は、未来の日本の平和を祈るという文章で終わっていた。


 ==今回はここまで==



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エピローグ  二十一世紀 No.6
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 日本軍上陸 − パタニ王国



エピローグ  二十一世紀 


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 廣一はパタニに来て、一泊しただけで随分と多くの体験をした。

 これ以上旅行を続けることはできないと思った。

 体力に疲れはない。しかし、旅行を続ける気力がなくなったのである。

 旅行をやめよう。このパタニを出よう。






 二階の部屋に戻った廣一は荷物をまとめ、黄ばんだ長谷川の写真が廣一を見ていた。この長谷川の顔を忘れてはならない。その写真をカメラで写した。



 長谷川の家を出るとき、二階の陳列ケースに入れてあるあの日本刀をもう一度見せて欲しいと頼んだ。

 ずっしりとした重量感が廣一の手に戻った。

 この刀は山田オクンのものであったが、田中数馬が譲り受けた。その後、ワン・ムーチェンのものとなり、長谷川へ、そして祖父の孝三へと渡ったものでもある。

 フォンを殺し、ヘーロンを傷つけてしまった。

 ワン・ムーチェンがどういうルートでこの刀を手に入れたのかは知らない。しかし、田中数馬の時代からは相当の年月を経ている。

 数馬からムーチェンの手に渡るまで、大切に扱われてきたものと思われる。そうでなければ、さびついて使い物にならないはずだ。

 一方、田中少尉がヘーロンの背を切りつけた後、ジャングルの中に捨てたはずだが、長谷川の家にある。

 長谷川が再び拾ったか、何らかの経緯で長谷川の手に戻った。しかし、長谷川にとってヘーロンを傷つけた刀を大切にする気になれず、さびついたものと思われる。




 廣一はパタニを去る前に、ワン・ムーチェンのことをクリイスサナに尋ねた。

 クリイスサナは、ムーチェンの名前を知っていた。

 昔パタニの華僑を代表した者の名前がワン・ムーチェンであり、すでに亡くなっているという。

 バンコクへ嫁いだムーチェンの孫が成功したため、一族の多くはバンコクへ移り住んでいると言う。

 ムーチェンの邸宅やゴム農園などは他の華僑が買い取ったということだった。

 バンコクへ嫁いだ孫娘とはワン・リンリンのことだ。リンリンのことを廣一は尋ねた。

 リンリンの嫁ぎ先は銀行を経営しているという。

 リンリンの夫は早く亡くなったが、彼女が事業を引き継ぎ多角的に事業を拡大して、バンコク市内の中華街ではトップの財閥になったということだった。


 ==今回はここまで==



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エピローグ  二十一世紀 No.7
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 日本軍上陸 − パタニ王国



エピローグ  二十一世紀 


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 廣一はパタニからハジャイへ向かう乗合タクシーに乗っている。

 老人となったヘーロンに会わなければならない。しかし、会うのが恐い。

 できることなら会わずに帰国したかった。

 会って祖父に代わって許しを請わなければならない。でも、ヘーロンは祖父を許してくれないだろう。

 タクシーの中でこのような思いに揺れ動いていた。

 結局、ヘーロンに会わずに帰国しようと決めた。

 タイムスリップをして子供の頃のヘーロンに会っているがヘーロンはそのことを知らない。

 だから会っても意味がない。と、都合の良い理由をつけた。

 本当はヘーロンに会うのが恐い。





 ハジャイに戻った。

 昨日ハジャイから乗合タクシーでパタニに向かったのに、一日で戻ってきた。しかし、ハジャイを出たのが何日も前のように思え、なつかしく感じる。

 ハジャイに戻っただけで日本が直ぐそこにあるように感じる。

 タクシーを降りて駅に向かう。駅前の広場を通り抜けるとき、ヘーロンの店が見える。

 できるだけ視線を逆の方向にしようと意識したが、なぜか意に反して、ヘーロンの食堂に目線が向いてしまう。

 シャオユイの目がじっと廣一の姿をとらえていた。

 一瞬ではあるが廣一とシャオユイの視線があった。廣一は知らぬ振りをして駅へ向かおうとした。

「タナカーサーン!」

 廣一は